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三遊亭圓馬(四代目)子別れ(中)

   

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プロフィール

4代目三遊亭圓馬(1899年1月18日 – 1984年11月16日)
東京府東京市小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家。
生前は落語芸術協会所属(晩年は同協会相談役)。
本名は森田彦太郎。出囃子は『圓馬ばやし』。

父は落語家あがりで奇術や踊りなどを演じた三遊亭左圓太(後の月の家満月、森田天賞、本名は森田喜太郎、1929年12月22日没)であり、弟は大阪の曲芸師・森幸児・静児の森幸児(1906年 – 1985年?)。
7歳の時に父と共に大阪に移り住む。1906年1月父の門下で(一説に2代目圓馬)に入門し、圓童を名乗り初舞台。
その後父が3代目桂文三の門下になって三太郎を名乗ったので自身も文三の元で小三(呼称はこさん、しょうざ、しょうぞう、こぞうなど諸説あり)となった。

1917年に2代目圓馬の門下で三遊亭とん馬と改名し二つ目。1923年2代目圓馬が圓馬の名跡を3代目に譲った際、3代目の預かりとなる形で移籍。1923年4月真打格昇進し、3代目三遊亭小圓馬を襲名。以降、吉本興業の若手落語家として売り出す。
このころはよくに女性にモテてサイン帳とサインペンを持った女性が列を作って自宅に押しかけていたという。
洋服で高座に上がるなど新しいことにも挑戦した。大阪に在っても師匠同様東京落語を演じた。

1943年師匠圓馬の病気の悪化もあり、師匠の薦めで吉本を辞めて東京へ移籍し修行を始める。1947年4月に4代目圓馬を襲名し上野鈴本演芸場で襲名披露をした。以降、芸術協会の重鎮として活躍。落語は上方ネタ、東京ネタなど多く
父親同様に余芸の踊り、ほかに二人羽織りも得意であった。主な得意ネタに『淀五郎』『宮戸川』『鼻ほしい』など。

主な受賞に勲五等双光旭日章など。

1984年11月16日、東京都中野区の小原病院で老衰のため死去、享年85歳。
墓所は台東区東淵寺。戒名は「三遊亭圓馬廣舌居士」。

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