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三遊亭圓遊(四代目) 長屋の花見(貧乏花見)

      2018/12/12

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「貧乏花見は落語の演目。元々は上方落語の演目の一つである。江戸落語では「長屋の花見」。
上方では、初代桂春團治、5代目笑福亭松鶴、6代目笑福亭松鶴、3代目桂米朝、2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴。
東京では、3代目蝶花楼馬楽、4代目柳家小さん、5代目柳家小さん、林家彦六、10代目柳家小三治の得意な演目である。

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あらすじ

家主が呼んでいるというので、長屋の連中が店賃の催促かとびくびくしながら集まった。
大家が酒肴を用意したので、皆で花見に行こう、という結構な話だったが、よく聞いてみると、酒は番茶の出がらし、卵焼きは沢庵漬け、蒲鉾は大根の香香を半月に切ったものだ。

毛氈に見立てた筵をかついで、向島方面に出掛けて宴会を始めたが、盛り上がらない。
卵焼きの尻尾じゃない所を取ってくれ、蒲鉾は葉っぱの方が旨い、酒柱が立ったから良いことがあると、言っていることが目茶苦茶。

本物の酒を飲みたいから、喧嘩騒ぎで人を追い払い、残していった酒を掻っ払ってこようと、月番の二人が大喧嘩の真似を始める。
近くで茣蓙を広げていた連中が、喧嘩に巻き込まれちゃ敵わないと避難した。
誰もいなくなった茣蓙から酒を二本持って来て飲み始めた所へ男が一人取り返しに来るが、落ちている物を拾っただけだと逆襲に合い、
「お代わりをお持ちしました」
※『落語400文字ストーリー』より引用
http://mengjian.blog104.fc2.com/

プロフィール

4代目三遊亭圓遊(明治35年(1902年)2月12日 – 昭和59年(1984年)1月9日)は東京都中央区京橋越前堀出身の落語家である。
生前は落語芸術協会所属。本名は加藤 勇(かとう いさむ)。
出囃子は『さつまさ』。

日本橋箱崎の尋常小学校を卒業後、浅草の下駄屋に奉公に出た。
その後下駄の行商、陸軍糧秣本廠の臨時工などを経て、大正11年(1922年)11月に6代目雷門助六に入門し音助となる。
大正13年(1924年)春頃に二つ目に昇進し、おこしと改名。
大正15年(1926年)5月、6代目都家歌六を襲名し真打に昇進。

その後昭和金融恐慌による経済不況もあって、昭和5年(1930年)頃に柳家三太郎として品川区西小山で幇間に出る。
その後戦争により花柳界が禁止されたため、昭和18年(1943年)に2代目桂小文治の門下で初代桂伸治として落語界に復帰。
戦後、昭和21年(1946年)に4代目に三遊亭圓遊を襲名。
落語芸術協会の大看板として、またTBSの専属落語家として活躍した。

芸風はあくまでも本寸法でありながら、聴衆に大御所風の威圧感を与えない軽快な語り口と独特の艶を帯びたフラで人気を博した。
楽屋では同輩、後輩の誰かれとなく語りかけ、賑やかに笑わせていた。笑わされ過ぎて高座に上がれなくなった者もいたという。
古き良き江戸の「粋」の精神を体現するかのような存在であった。

得意ネタは『野ざらし』『堀の内』『幇間腹』『味噌蔵』など。

昭和55年(1980年)10月5日に愛弟子の4代目三遊亭小圓遊に先立たれるという不幸に見舞われ高座からも遠のき、引退同然のまま昭和59年(1984年)1月9日に亡くなった。享年81。

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