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桂米朝(三代目) 東の旅(伊勢参宮神乃賑 口上 発端 煮売屋 七度狐)

      2014/06/09

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⇒ コラム~伊勢参宮神乃賑(東の旅)について

プロフィール

3代目桂 米朝(かつら べいちょう、1925年(大正14年)11月6日 – )は、旧関東州(満州)大連市生まれ、兵庫県姫路市出身の上方噺家(上方の落語家)。
本名、中川 清(なかがわ きよし)。
出囃子は『都囃子』。
『三下り鞨鼓(三下りかっこ)』は、2008年10月息子小米朝が五代目米團治襲名の際に米團治に譲る。俳号は「八十八(やそはち)。

現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興への功績から「上方落語中興の祖」と言われている。
1996年、落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年に演芸界初の文化勲章受章者となる。
1979年には帝塚山学院大学の非常勤講師。

来歴

1925年、関東州大連普蘭店(現中華人民共和国遼寧省大連市普蘭店市)に生まれた。
4歳の頃に奉天(現瀋陽)ヘ転居。

1930年に、祖父の死去に伴い、父が神社(九所御霊天神社)の神主を継ぐため一家で姫路へ帰国した。
米朝自身も上京前に周囲の勧めもあり、神主の仮免状を取得している。
幼少時代から落語や浪曲に親しみ、父や演芸好きの叔父に連れられて西花月亭や南地花月にもよく通っていた。

旧制姫路中学(現在の兵庫県立姫路西高等学校)卒業後、1943年、大東文化学院(現大東文化大学)進学のため上京。
在学中、作家であり落語・寄席研究家でもある正岡容(蓉)(まさおか いるる)主催の珍しい落語会を見たことを機に正岡に入門。
正岡一門の一番弟子となった。

正岡を通じ5代目笑福亭松鶴や、大阪の映画館主の息子であった矢倉悦夫と知り合いとなった。
1944年2月の応召直後病に倒れ、病院で終戦を迎えた。
この頃、橘ノ圓都が慰問で病院に訪れ出会うことになる。
大学には復学せず、神戸市で会社員となり一介の落語愛好家として落語会や素人落語の上演会を主催するなど、上方落語復興に力を入れていたが、矢倉が3代目桂米之助となったことが縁で後に師匠となる4代目桂米團治に教えを請う機会が生じた。
この時に「高津の富」を教わる。

やがて師・正岡の「いまや伝統ある上方落語は消滅の危機にある。
復興に貴公の生命をかけろ」との言葉を受け、本格的に落語家を志すようになり、1947年9月に会社勤めをしながら米團治に入門。
3代目桂米朝を名乗る。

一旦勤めを辞め米團治宅の内弟子となるものの親戚から叱責を受け、姫路市内の郵便局員として1年ほど勤務した。
その後、師・米團治の死に遭い、落語のみに精進する事を決意する。
戎橋松竹で初舞台後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月に出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語、独演会、一門会を中心に活動するようになる。

1974年、千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。
現在一門の多くがここに所属する。
1958年頃には朝日放送専属となり、放送タレントとしても、1960年代以降は、『ハイ!土曜日です』、『お笑いとんち袋』(関西テレビ)や『味の招待席』、『和朗亭』(朝日放送)など多数の番組に出演して大人気を博した。
一方で、落語研究家としても活動を行い、一度滅んだ噺を文献から発掘したり、落語界の古老から聴き取り調査をして多数復活させている。

彼によって復活した演目としては「算段の平兵衛」「風の神送り」「矢橋船」などがある。
また上方文化の交流を深める「上方風流」を1963年から結成し「上方風流」を発行(1967年まで活動)。
入門当時には衰微を来たしていた上方落語の復興を願い、共に上方落語四天王と讃えられた6代目笑福亭松鶴、3代目桂小文枝(後の5代目桂文枝)、3代目桂春団治らと東奔西走して尽力した。

現在の上方落語の隆盛は米朝・松鶴らの功績であるというのが衆目の一致する処である。
一言に東奔西走といっても、地方においては昭和40年代(1965年 – 1974年)であってもなお、落語に対する理解は低く、米朝が高座に上がって落語を始めても、客からは「何を一人で喋ってるんだ? 遊んでないで早く落語を始めろ!」と野次が飛んでくる有様だった。

地方ではテレビの『笑点』でやっている大喜利が落語であると、その程度の認識であり、その苦労は並大抵のものではなかったのである。
1972年に正月と夏にサンケイホールで独演会を開催(その後も長年サンケイでは独演会を開く)。
1973年からは毎年、地元姫路市で「姫路落語会」を開催している。
テレビコマーシャルの出演は一切拒否しているが、『ハイ!土曜日です』でアイバンクを紹介した事が縁で、1983年放送の公共広告機構(現:ACジャパン)のアイバンクのCMに出演している。

このCMは、ラジオ部門のACCグランプリ、秀作賞、タレント賞を受賞した。
1987年4月29日、紫綬褒章受章。
上方落語協会の会長に四天王としては唯一就任していない。
5代目文枝の自伝『あんけら荘夜話』によれば、1988年の選挙で一旦は会長に選出されたが、当時相談役に退いていた米朝は「いまさら会長になる気持ちはない」と辞退したため、「米朝会長」は幻に終わっている。

1996年、落語家では5代目柳家小さんに続き2人目、上方落語界では初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
2002年の東京・歌舞伎座の口演を最後に一線を退く(2009年現在は落語会のよもやま噺やテレビ、ラジオ出演のみ)。
11月3日、演芸人として史上初の文化功労者顕彰を受ける。
2007年は芸能生活60周年(米團治に入門してから数えて)であり桂米朝を祝う会なども行われ、退院以来のトリで落語「将棋小噺」を披露した。

2009年3月、医師から脳梗塞と診断され入院し、7月27日にも脳幹梗塞と診断され入院したが、いずれも軽度で済み、早期に活動復帰している。
同年11月3日、演芸人として史上初の文化勲章受章者となった。
2012年8月、数え年で米寿を記念してサンケイホールブリーゼで「米寿記念 米朝展」を開催。
会では石黒浩が制作した米朝アンドロイドロボットが公開された。
2013年8月、肺炎で入院。

人物

語り口調は端正で上品。
容姿も端麗で人気を博す。
多くの弟子を育て、長男の5代目桂米團治もその一人。
特に初期の弟子には月亭可朝、2代目桂枝雀、2代目桂ざこばなど自身の芸風とはかけ離れた異能派が並んでおり、かつては芸に厳しく怒鳴ったり、鉄拳なども出ることがあったが、近年は大きな包容力で一門を育て上げている。
持ちネタは多数あるが、代表的なところでは自ら掘り起こした「地獄八景亡者戯」や「百年目」、自作に「淀の鯉」(中川清時代)や「一文笛」がある。

中川絹子夫人は元OSSK(大阪松竹少女歌劇団、のちのOSK日本歌劇団)の「駒ひかる」である。
なお、次男と三男は双子である(同じ「武庫之荘」に住んでた大村崑の息子とは同級生)。
「芸は最終的には催眠術である」が持論。
お客さんを落語の世界へ引っ張り込むことを催眠術に例えている。
滅びた噺の復活や当時の時代背景、風俗、流行などの研究のために多種多様な古書や文書を収蔵した書庫を自宅に持つ(孫弟子の桂吉弥曰く「米朝文庫」)。

特に演目の登場人物が取る仕草の研究に余念が無く、酒席でのほろ酔いと酩酊の演じ分け(酒肴の口の運び方、酒の注ぎ方など)から縫い物の糸切りの位置に至るまで、日常生活上のさり気ない動作に徹底的なリアリティを追求している。
長男・5代目桂米團治によると「父の中川清」は、とりわけて子煩悩でも、教育熱心でもなく、かといって目立った諍いも無く、家に居ても丹念に落語の資料に目を通している父親で父子としては至って普通の淡白な関係であった。

ただわからない事を訊ねると子供相手であっても順を追って理路整然と説明するなど、父親と本業の両面が出ていた。
舞台での流暢な喋りと温厚そうな雰囲気の反面、TVや新聞を見て気に障ることがあると、途端に虫の居所が悪くなり、怒声や剣幕こそ出さないものの、険しい顔で所作が乱暴になり険悪な雰囲気を撒き散らすなど、子供にとっては居心地の悪くなってしまう気難しい面も持っていた。

一門の弟子たちからは「ちゃーちゃん」と呼ばれている。
5代目桂米團治の著書によると、米團治が幼少の頃、「おとーちゃん」と発音しようとして、「ちゃーちゃん」と言っていたものを当時の弟子たちがまねて使ったのが由来であるという。
ニュースなどで北朝鮮と米国を扱ったいわゆる「米朝問題」を聞くと「自分とは無関係なのにドキっとする」という。
かつて身内、容、米團治が55歳で亡くなったので、自身も55歳で死ぬと断言していた。
自らに課した55歳というタイムリミットに間に合わせるために、後進の育成に加え、書籍や音声資料による落語の記録に精力的に取り組んだ。

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