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三遊亭圓遊(初代) 成田小僧(改作)

      2014/06/22

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●『鼻の圓遊』改作~成田小僧

本来は、初代 春風亭柳枝から代々人情噺として演じられていたものです。
陰気な因果噺をだったものを、初代 三遊亭圓遊がサゲまで変えて滑稽噺に改作したもの。
サゲ;『夢は小僧(五臓)の疲れ』は、[ねずみ穴] の『夢は土蔵の疲れ』と同工異曲。

三遊亭 圓遊(さんゆうてい えんゆう)は落語家の名跡である。
三遊派の系統から生まれた名である。当代は5代目。
初代とされている圓遊は本来は3代目である。

過去2人の圓遊は売れなかった訳ではなく、きちんと名を残した落語家が名乗っているのだがこの「3代目」圓遊が珍芸「ステテコ」で大人気を博し、あまりにも売れたためこのステテコの圓遊が初代と完全に定着した。

初代三遊亭 圓遊(嘉永3年5月28日(1850年7月7日) – 明治40年(1907年)11月26日)は明治時代に活躍した江戸小石川小日向出身の落語家である。
本名は竹内 金太郎(たけうち きんたろう)。

慶応4年(1868年)頃、2代目五明楼玉輔の下に入門し、(雀家?)志う雀を名乗る。
明治3年(1870年)、師匠が廃業したため(後に復帰)、明治5年(1872年)頃に初代三遊亭圓朝門下に移り、圓遊に改名。明治13年(1880年)4月、真打に昇進した。

大きい鼻で知られており、「鼻の圓遊」ともよく呼ばれていた。
寄席において、落語の後の余興として奇妙な踊りを披露して大人気を博した。
大きな鼻をもいで捨てるような振付けから「ステテコ踊り」の異名を得、このために「ステテコの圓遊」の名で呼ばれるようになった。

また古典落語を明治風に改作して演じた。明治時代の落語界において中心人物であった。
全盛期には1日36軒の寄席を掛け持ちしたと言う伝説がある。
辞世の句は「散りぎわも 賑やかであれ 江戸の花(鼻)」。墓所は谷中霊園天王寺墓地。
戒名は「唱行院圓遊日悟居士」。
人気ゆえに多くのSPレコードも残している。

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