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柳家小さん(三代目) 千早振る

      2014/06/22

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あらすじ

百人一首を覚え始めた娘から「千早振る神代も聞かず竜田川からくれないに水くぐるとは」の意味を問われた金さんがご隠居に尋ねた。
素直に知らないと言えばいいのに、ご隠居の出鱈目にわか講釈が始まった。
竜田川は敵無しの大関だった時に、吉原の花魁、千早太夫に一目惚れするが、千早は「相撲取りの席は嫌でありんす」と振ってしまう。
それならと、妹の神代に声を掛けるが、これも言うことを聞かない。
つまり『千早振る神代も聞かず竜田川』だ。
竜田川は故郷に帰って五年間働いて、豆腐屋になっていた。
ある日、女乞食が、空腹のあまり、卯の花を分けて欲しいと求めるが、女の顔を見ると因縁の千早だったので断った。
身を儚んだ千早は井戸に身を投げた。
卯の花は『から』。
井戸の中では水をくぐるから『からくれないに水くぐるとは』だ。
最後の『とは』は何だと問い詰められて、苦し紛れに『とは』は、千早の本名だった。

※『落語400文字ストーリー』より引用

http://mengjian.blog104.fc2.com/

プロフィール

3代目柳家 小さん(やなぎや こさん、安政4年8月3日(1857年9月20日) – 昭和5年(1930年)11月29日)は落語家。
本名は豊嶋銀之助。生家は一橋家家臣の家である。

来歴

最初は常磐津の義太夫で初代常磐津林中の門下で家寿太夫を名乗るが、旅回りの途中に初代土橋亭里う馬の門下になり、2代目土橋亭志ん馬の代演で高座に上がる事になる。
帰京後の1882年(ないし1883年)に初代談洲楼燕枝の門下となり柳亭燕賀となる。1883年頃に3代目春風亭柳枝に可愛がられた為に柳亭燕花を名乗る。

その後、師匠柳枝の前名、燕路を名乗らないかと薦められたが、柳枝の弟子で2代目燕路の弟子たちの反対で立ち消え。そのごたごたで廃業を余儀なくされた。
諦めきれずに1886年(ないし1887年)に4代目都々一坊扇歌一門で噺家に復帰し都川歌太郎と名乗ったが、継子扱いだったので見かねた2代目禽語楼小さんが引き取り1892年6月に初代柳家小三治襲名し真打昇進。

その後は人気も上がって出世し、師匠小さんが1895年頃から病気がちになり、隠居名柳家禽語楼を名乗ったと同時に小さんの名を譲られ、同年3月に3代目襲名。 1905年には「第一次落語研究会」の発起人に。
得意ネタは上方落語ネタを江戸落語に移植した演目が多い。
特に4代目桂文吾から口伝された「らくだ」が有名である。
他にも「碁泥」・「にらみ返し」・「天災」・「かぼちゃ屋」・「猫久」・「粗忽の釘」・「青菜」・「うどんや」などがある。特にお酒の入る酔っ払い噺は得意としたが自身は一滴もお酒を飲めなかった。

弟子は他の噺家に飲ませ観察し研究・観察したという。明治末期から引退する昭和初期までに多くのSPレコードを吹き込み内容は東京ネタ限らず上方ネタ、音曲、常磐津まで幅広く残した。
なお、寄席によく通っていた夏目漱石は、「彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである」と『三四郎』の中で書いている。

1924年~1926年に5代目柳亭左楽の後任で東京落語協会(現落語協会)2代目会長就任。
1928年4月に9番弟子4代目蝶花楼馬楽(後の4代目柳家小さん)に小さんの名を譲り、自らは引退した。

最晩年の1923年頃からは脳軟化症による認知症を発症したために同じ噺を続けてしまう、別の噺が混ざってしまうなど悲惨な姿を人々の前に出していた。
1929年には自宅を出たまま行方不明になり、翌日世田谷の公園で発見された時には子供と遊んでいる姿が新聞に記載された。

1930年11月29日死去。享年74。
墓所は4代目橘家圓喬と同じ東京目白の雑司ケ谷・法明寺にある。

芸風・人物

一時常盤津を修業した事もあり声がよく、噺に音曲を入れるなどのアレンジを施して華やかさを加えた。
人格者で6代目三遊亭圓生は「噺家でも、芸をちゃんとやろうという者は、正しい心を持たなければいけない。正直にして正しい心をもってやるんだよ。」と諭されたと自叙伝「寄席育ち」(青蛙房 1976年)に書いている。
芸や生き方は、林家彦六・5代目古今亭今輔・6代目春風亭柳橋・7代目三笑亭可楽らに影響を与えたが、特に彦六は常に小さんの心で居ろという戒めを大事にし「小心居」という言葉を座右の銘とした。

一方で落語を地でいくような粗忽な面もあり、羽織を間違えて二枚着て、次の寄席に行ってしまったこともあるという。
また銭湯に足袋を履いたまま入ったりしたこともあった。また地震が苦手であった。

一門弟子

弟子・若手の面倒見がよく尊敬されたため多くの弟子を輩出した。
2代目松柳亭鶴枝
柳家小ゑん(後に能の出囃子方に転職)
3代目蝶花楼馬楽(元は3代目春風亭柳枝の弟子だが、師匠柳枝に破門され、小さん一門に移籍)
初代柳家小せん(元は4代目麗々亭柳橋の弟子だが、師匠柳橋死去に伴い、小さん一門に移籍したが後に病のため失明、大病などで夭折)
柳家小山三(中井清之助)
柳家小三郎(藤田鉄五郎)
2代目柳家小せん(後に落語協会事務員に転職)
柳家小志ん
8代目朝寝坊むらく
柳家小二三
帰天斎小正一(松岡後の平山平吉)
三升家勝ぐり(鈴木峯次郎)
柳亭芝楽(伊藤栄三郎)
初代橘ノ圓
初代柳家小はん
初代柳家蝠丸(息子は10代目桂文治)
春風亭柳語楼(中村菊次郎)
柳家金語楼(後に兄弟子三語楼一門に移籍した)
桂文慶(田中六太郎)
柳家燕花(松本金太郎)
2代目柳家つばめ
4代目柳家小さん
3代目古今亭今輔
3代目柳家つばめ
初代柳亭市馬(味波庄太郎)
柳家小三太(関根、後の増田久四郎、師匠小さんよりも先に逝去した)
初代柳家三語楼(元は2代目談洲楼燕枝の弟子だが、小さん一門に移籍するが、後に東京落語協会脱会したが、後に復帰するが、再度脱会した)
6代目柳家小三治
5代目古今亭今輔(元は初代三遊亭右女助の弟子だが、初代柳亭市馬の紹介で小さん一門に移籍。小さんの引退前の1926年に2代目桂小文治一門に移籍した)
柳家小半治(田代藤太郎)
8代目柳家小三治(戦後、落語協会事務員に転職)
3代目三升家小勝(「セルロイドの象」)
初代江戸家猫八(物真似師)
初代柳家小はん
初代柳家小まん(梅村わか)
柳家金三(中根茂平)
柳家三好(中田宗太郎)
9代目桂文治(元は7代目翁家さん馬の弟子だが、師匠さん馬と不仲となり小さん一門に移籍した)
林家彦六(元は4代目橘家圓蔵一門の内輪だったが、圓蔵の死後、小さん一門に移籍、師匠の引退前年に4代目小さん一門に移籍した)
ほか多数
※出典:諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社

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