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林家たい平 SHIBAHAMA(芝浜改作)

      2014/07/10

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プロフィール

林家 たい平(はやしや たいへい、1964年12月6日 – )は、埼玉県秩父市出身の落語家。
本名、田鹿 明(たじか あきら)。
林家こん平の弟子。落語協会所属、所属事務所は株式会社オフィスビーワン。
言霊群団「夢吽空」団員。血液型はB型。
人気演芸番組『笑点』(日本テレビ系列)の大喜利メンバーである。
出囃子は『ぎっちょ』(「ドラ落語」の際は『ドラえもんのうた』)。定紋は『花菱』(「ドラ落語」の際は『鈴』)。
愛称は、「たいちゃん」。これは、師匠・こん平の愛称「こんちゃん」に由来する。

人物

埼玉県立秩父高等学校を経て、1988年に武蔵野美術大学造形学部卒業後、林家こん平に入門したという落語家としては異色の経歴を持つ。
実家はかつてテイラーメイドの洋服店を営んでおり、現在は実母が駄菓子店「駄菓子屋たい平」(由来はたい平本人)を、実兄がうどん店「うどん亭たじか」を経営している。

洋服店時代は店内において落語の寄席が催されたことがある。
「たい平」の名付け親は、師匠のこん平である。
しかし当初の読みは「たいぺい」であった。
こん平曰く「外国人にも語呂的に伝わりやすい」という理由だったが、こん平夫人の「”たいへい”の方が良いのでは」の鶴の一声に「たいへい」に決まる。
なお、こん平は弟子入りをすぐ認めたわけではなく、初代三平の夫人・海老名香葉子の自宅での住み込み修行をさせた上で、正式に弟子入りを認めている。
生まれ故郷の秩父に愛郷心を抱いている。
『笑点』(日本テレビ)でも時々挨拶の際に、秩父でのイベント情報などを盛り込んで秩父のことを紹介しており、毎年11月下旬には、正式なメンバーとなった2006年以降、7年続けて秩父夜祭を大々的にPRしている。

2009年に俳優の藤原竜也、演歌歌手の冠二郎、THE ALFEEの桜井賢と共に秩父市の観光大使に任命されている。
ただし秩父を愛するが故、度を超すと他の地方を罵倒することもある。
一例として、『笑点』の大喜利では、大月秩父代理戦争などが有名。
しかし、2010年6月6日に大月市で行われた独演会まで大月を訪れたことはなく、この独演会をもって代理戦争を終結させたいとネタにしていたことがある。

なおこの独演会には、秩父市長・久喜邦康と大月市長・石井由己雄(大月の人の都留高校時代の同期生)が立ち会ったという。
落語家を目指すきっかけは、大学に入学した際にふと立ち寄った落研サークルが当時は廃部寸前だったため、何とかしなければと友人数名を集めて廃部を撤回させたことにある。
落研サークルでの高座名は「遊々亭迷々丸(ゆうゆうてい めめまる)」。
その当時は落語を観たことも聴いたこともなかったために漫才やコントをやっていたが、後にたまたまラジオで流れていた人間国宝・5代目柳家小さんの『粗忽長屋』を聴いて感動し、真剣に落語を始めた。

また、武蔵野美大出身という学歴を活かし、著書や自身のCDの挿絵を自ら担当するなど画才でも知られる。
また同じく絵を描くことで知られている林家木久扇の絵のアシスタントをしていたことがある。
2006年2月18日昼に放送された、深夜番組『歌スタ!!』(日本テレビ)のスペシャル版『ハンター全員出席! 各界うたいびとガチガチデビューSP』に出演。
BEGINの『恋しくて』を歌い、ウタイビトハンターが合格を意味する“よろしく”の札を上げた。

その後『笑点』の大喜利で、挨拶や答えの機会を利用して『歌スタ!!』での合格や出演、歌手デビューについて宣伝した。
古典落語の『芝浜』にヒントを得た『芝浜ゆらゆら』(作曲・編曲:マシコタツロウ)でCDデビュー(2006年10月18日にコロムビアミュージックエンタテインメントから発売)。
2006年10月14日・21日(再放送)放送の『BS笑点』(BS日テレ)では、たい平司会のコーナー「使ってみよう! 落語ことば」の時間を利用して1コーラス披露した。
『笑点』の司会者・桂歌丸からはそれをネタにされ、「歌のCDはいいから落語のCD出しなよ」と言われているが、落語のCDはすでに複数リリースしている。
『芝浜』の舞台設定などを現代風にアレンジした『SHIBAHAMA』という自作もあり、文化放送で『芝浜』のラジオドラマが制作された際にはアドバイザーを務めている。
お笑いコンビのTIMのゴルゴ松本に少々似ている。
それはたい平自身も自覚しているらしく、『笑いがいちばん』(NHK総合)で落語を披露した際、マクラの部分で、「ゴルゴ松本と思われた方……」(要約)といった話をしている。

また、『笑点』では、「私は『命』じゃありません」と挨拶をした。
2006年10月に登場した日本テレビのマスコット「日テレちん」の声を担当している。
2007年4月から尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の非常勤講師を、2010年4月から武蔵野美術大学(本人曰く「ムサビ」)の客員教授を務めている。

現在、『笑点』メンバーで唯一直弟子を取っていないが、林家テリ平(テリー伊藤)、林家たいペー(林家ペー)がいるため、2008年には「たい平一門かい?」と称する独演会が開けるようになったが、「2人とも自分より年上でわがままなので、師匠である私の言うことをまったく聞いてくれない」とネタにしている。
また、落語協会は彼らをたい平の弟子とは公認していない(ペーは漫談家として登録、テリーは未加盟)。
ほかに、テリー同様、『テリーとたい平のってけラジオ』で共演した正木あずみが2010年10月に三味線漫談家として弟子入りし、林家あずみの高座名を名乗っている。

家庭

家族は、同年齢である妻の千華(ちか、1965年1月30日 – )と2男1女。
千華は仙台市出身で、たい平と結婚する前はリクルートに勤務しており、一時はフリーアナウンサー(フリーキャスター)業を行っていたこともある。
『笑点』の大喜利などでも度々名前が出ており、司会者・桂歌丸の冨士子夫人を上回る「恐妻」として紹介されている。
「笑点ブラック団」が単に「嫁」といった場合も、昇太の独身ネタ関係であるケースを除けば、多くの場合は千華を指す。
千華は、冨士子夫人に対しては使われることのない「鬼嫁」と呼ばれることもある。
巳年生まれであることから、「蛇に睨まれた蛙」などと、蛇に絡めて自虐ネタをすることもある。

しかし、たい平は『笑点』で「(千華は)誰に対しても怖いわけではない」と述べている。
東日本大震災では千華のおじが亡くなったこともあり、たい平は宮城県で慰問を兼ねた救援活動を行っている。
千華は『笑点』で名が知れてしまったこともあり、2010年12月に夫が公式ブログを開設しているアメーバブログで個人ブログを始めた(#外部リンク参照)。

大喜利メンバーとして

『笑点』の大喜利でのキャラクターについては「大喜利 (笑点)#林家たい平」を参照『笑点Jr.』でのキャラクターについては「笑点Jr.#林家たい平」を参照著書『笑点絵日記』でも主張されている通り、子供のころから大の『笑点』ファンである。
たい平が家族を後楽園ホールに招待したところ、オープニングで挨拶をする5代目三遊亭圓楽の周りにたい平の家族が座っていて、テレビにもその姿が映ったというエピソードが記されている。
演芸コーナーで若手大喜利が行われた時代から出演していた若手大喜利メンバーである。

1998年7月に山田隆夫が4週間休んだ際、大喜利下克上にてチャンピオンとなり、1週のみ(第1623回の7月12日)山田の代わりに座布団運びを務め、師匠・林家こん平と師弟での共演を果たした。
1999年の正月特番で行われた師弟大喜利でも、師弟での共演を果たしている。
『笑点Jr.』にも『BS笑点』時代から出演している。
放送開始当初は大喜利メンバーとして出演し、2003年11月9日の放送で初めて出演権を剥奪されるが、それ以降は出演権を剥奪されることはなく、復帰した2003年12月7日から最終回まで出演し続けた。

2004年12月26日放送分からは、病気療養のために休演した師匠・こん平の代役として、若手大喜利から選抜されて大喜利に出演。
こん平の番組休演が長引き、復帰のめどが立たないことから、2006年5月21日の放送分から春風亭昇太とともに正式なレギュラーメンバーになる。
代役当時は立場を意識してからか、初期の挨拶では「師匠のこん平に尋ねたところ〜」と言って挨拶をはじめ、締めは両手を真上に突き上げて、こん平の「新潟生まれ」を真似た「秩父生まれのたい平でーす」としゃべるなど、こん平の挨拶ネタをよく用いていた。

現在では最後の部分だけが残り、「(○○の)たい平でーす」で挨拶を締める。
最近の地方収録では、師匠・こん平に地方収録に行くことを報告したところ、「お前は○○(収録地)生まれだ」といわれてきて、「○○生まれの秩父育ち、たい平でーす」で挨拶を締めることが見られる(恐らくは、こん平のネタ「○○で生まれ、新潟で育った」を、たい平流にアレンジしたものと思われる)。
2005年6月12日放送で5代目圓楽に自分の名前を忘れられたことがあり、その後このネタがたい平の冒頭の挨拶や大喜利などで使われるようになった。
5代目圓楽は名前を本当に思い出せなかったらしく、後にこれが司会降板の一因であったと語っている。
なお5代目圓楽はたい平の「外国人パブ」、「物まね」など『BS笑点』時代からの持ちネタを試行錯誤の末に確立させたことについて「独自の芸風を確立してよくなってますね」と評価していた(笑点の40周年記念ムック本)。
当初はこん平の病気療養に伴う代役としての出演であったこともあり、「(笑点メンバーになるために)師匠に毒を盛った」と現在でもネタにされることがある。

後に5代目圓楽が脳梗塞で休演したため、6代目圓楽(当時は楽太郎)へも「(圓楽を継ぐために)師匠に毒を盛った」「お互いの師匠に毒を盛った」というネタをしていた時期もあった。
歌丸の弟子である桂枝太郎にも、「たい平師匠に毒の盛り方を教わった」とネタにされたことがある。
2006年5月7日放送で初の座布団10枚を獲得して、賞品である巨石を公開収録会場の山口県周南市から東京まで持ち帰る羽目になった。
石は現在横浜にぎわい座の2階の情報コーナーで展示されている。

なお、前司会者・5代目圓楽が療養のため休演した際、大喜利メンバーが交代で代理司会を担当していた(2005年11月27日放送分より桂歌丸に固定)が、大喜利メンバーの中でたい平だけが司会を務めなかった。
これは、たい平本人によれば、「自分は、あくまで師匠・こん平の代理として出演していており、師匠を差し置いて司会を務めることは出来ない」ためである。

その後、正式なレギュラーメンバーとなった後、2008年6月29日放送分は司会の歌丸が腰の手術で一時休演した際、大喜利の司会を務めた(この日の冒頭は、木久扇と楽太郎〈現・6代目圓楽〉が担当)。
「ターボが回転しすぎて、収録後に鼻血が出た」という(笑点オフィシャル本より)。

2010年の正月特番では、「親子大喜利」コーナーで息子とペアを組んだ。
また11月に行われた甥っ子の結婚披露宴では新郎新婦を祝福する挨拶をシャレを交えて行っている。
歌丸が正式な司会に就任後「歌・ものまね禁止(披露すれば最低でも1枚剥奪の対象)」と述べているが、その発端はたい平である。

以前は師匠のこん平の流れで「山田降ろしネタ」等が多かったが、最近は三遊亭小遊三との地元を罵倒合戦(大月秩父代理戦争)等、6代目圓楽等から「たい平の浮気・愛人・恐妻家・キャバクラ通い」ネタ(いわゆる錦江湾ネタ)、さらに同じブラック団団員の春風亭昇太から「たい平のように結婚をしても自由のない生活を送っているのを見れば結婚なんてするものでない」と罵倒されている。

また歌丸からも「はい、千華の亭主!」あるいは「はい、錦江湾!」などとあえて名前で呼ばれないこともある。
また、ブラック団ネタの一環として、殺人事件ネタ、とりわけ崖から誰か(「おじいさん」とした場合、大抵は歌丸である。
六代目圓楽のときもあるが、この2人とは限らない)を突き落とすというネタをする際、火曜サスペンス劇場のオープニング曲を歌いだすことがある。

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