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柳家小せん(初代) 専売芸者

      2014/06/11

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プロフィール

初代柳家 小せん(1883年4月3日 – 1919年5月26日)は、落語家。
本名は鈴木万次郎。
浅草福井町の提灯屋を営んでいた2代目三遊亭萬橘(元:4代目七昇亭花山文)の実子。

1897年に4代目麗々亭柳橋の弟子になり柳松となったが、師匠柳橋の死去にともない3代目柳家小さん門下に移って小芝となり、その後小せんに改名した。

丁寧な演出と敬愛してやまなかった兄弟子3代目蝶花楼馬楽譲りの警句を交じえた巧みな口調が早くから注目されており、落語研究会の有力な若手として期待を集めていた。

1910年4月真打昇進したが、それまでの過度の廓通いが祟って脳脊髄梅毒症を患い腰が抜けたため、人力車で寄席通いをするになり、妻に背負われて楽屋入りし板付きで高座を勤めるようになった。
更に不運は続き、1911年頃には白内障にかかって失明してしまう。
落語の実力は他の追随を許さないほど優れていた。

師匠小さんのネタはほとんど演じておらず、『居残り佐平次』『お見立て』『お茶汲み』『五人廻し』『とんちき』『白銅』などの廓噺を得意とした。速記も残されている。
晩年は師匠小さんの薦めにより、自宅の浅草三好町を稽古場として月謝をとって落語を教えており、この稽古場は「小せん学校」や「三好町通い」と称された。

直弟子はいなかったが5代目古今亭志ん生、林家彦六、6代目三遊亭圓生、5代目麗々亭柳橋、3代目三遊亭金馬など、後に名人となった多くの落語家が小せんから直接教えを受けている。
最後の高座は1919年5月の下谷金杉の壽亭で得意ネタだった『居残り佐平次』でその数日後に三好の自宅で心臓麻痺で、37歳の若さで死去。
戒名は「古詮院法有信士」といい生前の1912年に菩提寺の住職から付けて貰った。
速記本には『柳家小せん落語全集』『廓ばなし小せん十八番』等がある。

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