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三遊亭歌笑(三代目) わが生い立ちの記

      2014/05/28

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プロフィール

3代目三遊亭 歌笑(1917年9月22日 – 1950年5月30日)は東京都西多摩郡五日市町(現:あきる野市)出身の落語家。本名:高水 治男。

生家は高水製糸工場の二男で地元の小学校卒業後、その後兵隊検査で極度の斜視であった為に丙種合格であったことに失望し上京。
柳家金語楼の芸をラジオで聴いたことで落語のファンになり門を叩くが断られ、金語楼から6代目春風亭柳橋を紹介される。
だが、柳橋にも断られる。1937年9月、3代目三遊亭金馬に入門し金平の名をもらう。

1941年(1942年とも)に二つ目昇進、後に寄席に出演する為、寄席に背を向けていた金馬門を離れ、2代目三遊亭円歌門に移る。1941年(1942年とも)頃かつて師匠が名乗った歌笑に改名し、1947年10月に真打昇進。1948年に映画「音楽二十の扉」、1949年「ホームラン狂時代」に出演。

エラの張った顔が特徴で、極度の斜視である為目配りが必要な古典落語の道を諦め、自作の新作落語で活躍。特異な風貌や奇声と共に終戦直後の荒んだ世相に明るい笑いを提供。歌笑が一世を風靡する切っ掛けは坂口安吾が中央公論の中で「歌笑文化」の一文を寄せた事である。

この一件もあいまって日本劇場や国際劇場等を満員にするほど人気が沸騰し、「爆笑王」、「笑いの水爆」と呼ばれ、一世を風靡。共に若手三羽烏と呼ばれた4代目柳亭痴楽、9代目柳家小三治(後の5代目柳家小さん)ら同年代の若手落語家に多大な刺激を与えた他、4代目桂米丸や後に同じ「爆笑王」の名を拝命する初代林家三平といった駆け出しの落語家とも懇意にし、彼らの大きな目標となっていた。

また、立川談志の少年期に影響を与えた一人とされており、歌笑の急逝(後述)を知った談志は生まれて初めて他人のために涙を流したという。
得意ネタは、七・五調で演じる「歌笑純情詩集」の他に「迷作集」「妻を語る」「ジャズ息子」等があった。SPレコードは現在確認されているもので「我が生い立ち記」「音楽花電車」「妻を語る」「音楽風呂」「スポーツショウの巻」の5枚が残されており、この5枚は2010年現在、全てCD化されている。趣味は川柳であった。

人気絶頂時の1950年、雑誌「夫婦生活」の大宅壮一との対談が終わり帰る途中、夕暮れの銀座松坂屋前の路上横断中、アメリカ軍のジープに轢かれて事故死。先天性弱視が災いしたといわれる。享年32。
真打としてはわずか2年半に終わった。また、人気絶頂の最中の突然の死であったため、多くの予定スケジュールが残された。この時穴埋めの代演としてフル回転することになったのがライバルでもあり親友であった柳亭痴楽で、痴楽は「歌笑純情詩集」のテイストを折り込んだ新作落語「痴楽綴方狂室」をかけ、これで名を売って行くことになる。

師匠の円歌は歌笑の事故死当日、巡業先の和歌山県で仕事をしていた。一緒に来ていた3代目江戸家猫八が当時の人気者歌笑の物真似をするのをたまたま客席にまわって観ていた円歌には、声だけでなく表情や仕草までもがまるで歌笑の生き写しのようにに見えたという。

翌日、円歌は移動先の奈良の旅館で歌笑の死を知らされたが、まさに歌笑が車に轢かれた時刻に猫八は舞台で演じていたのだった。そのことを知らされた時の円歌を見ていた浪曲師の相模太郎は、人の顔色がこれほどまでに激変するものなのかと思ったそうである。心から念仏を唱えたと、円歌は後に高座で語っている。
墓所は荒川浄閑寺。

渥美清が映画(「おかしな奴」1963年)TVドラマ(「おもろい夫婦」1966年10月6日~翌年3月30日)の中で歌笑を演じている。
近年は風間杜夫が昭和の爆笑王ドラマスペシャル「林家三平ものがたり おかしな夫婦でどうもすいませーん!」(テレビ東京・国際放映、2006年8月20日)の中で歌笑を演じた。

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