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笑福亭松鶴(四代目) 愛宕参り

      2014/09/30

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4代目 笑福亭松鶴(1869年 – 1942年8月20日)は、本名:森村米吉。享年74。
1869年生まれ。生家は大阪で大名への金貸しをしていたが、幼くして父と死別。
10歳の時に紙屋へ丁稚奉公に出る。その後、花簪屋、鉄屋、下駄屋、線香屋などを転々とするが、いずれも長続きせず。

1885年、知人の世話で歌舞伎役者の坂東あづまの男衆となり、後に澤村百之助の門下へ移る。その後、芸界を離れ花簪屋を営むが、20歳の頃に素人落語に加わり秀丸、花米を名乗り、1886年、3代目松鶴に入門し、三代松を名乗り半玄人の活動を始める、翌年に3代目松竹と改名。
3代目松鶴がよく可愛がり差し向かいでしっかり稽古を付けた。

その後、再び芸界を離れ、薬の行商などをしていたが、また落語界に復帰し、1895年に日清戦争の勝利にちなみ萬歳を名乗る。やがて師・3代目松鶴が講談に転じたため、1899年に2代目桂文枝(後の桂文左衛門)の預かり弟子となり、両師の名から一字ずつもらった桂枝鶴を名乗る。1904年12月に浮世亭萬歳と改名、翌年2月に3代目松鶴の三友派復帰に伴い行動を共にし、初代笑福亭枝鶴を名乗る。その後、1907年11月に4代目松鶴を襲名。

その後、1912年に初代桂枝雀らと共に寿々女会を設立するも長続きせず、三友派に復帰。7代目桂文治の引退に伴い、三友派の頭取となるも、1922年には吉本興業に吸収合併される。1925年、弟子の2代目枝鶴に松鶴の名を譲り、自らは松翁と名乗った。

芸はこの時代では珍しく素噺一本で正統派で達者で嫌気がなく自然に湧き出すおかし味であった。しかし高座を降りるとプライドも高く他派との衝突が絶え間なく本人も諸派をころころ変わっている。
十八番は『天王寺参り』『次の御曜日』『餅搗』など。

SPレコードは枝鶴時代の明治末から松翁になった大正末までに多く残している。
門下には、千鶴(後の桂太郎)、鶴蔵、仁鶴(後の桂三木丸)、初代鶴光(後の4代目松竹)、5代目松鶴、萬歳(後の桂塩鯛)、鶴枝(後の桂團丸)、児鶴(初代桂小春團治)、鶴二、里鶴、初代鶴瓶(後の林家染八)、鶴丸(後の初代林家小染)、小枝鶴、3代目光鶴らがいる。

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