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桂三木助(三代目) 芝浜

      2015/02/02

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『芝浜』(芝濱、しばはま)は古典落語の演目の一つ。
三遊亭圓朝の作とされるが不確か。3代目桂三木助の改作が有名。
三木助による名演以降、夫婦の愛情を暖かく描いた屈指の人情噺として知られるようになった。

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あらすじ

天秤棒一本で行商をしている、魚屋の勝(演者によって主人公の名には違いあり)は、腕はいいものの酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗が続き、さっぱりうだつが上がらない、裏長屋の貧乏暮らし。その日も女房に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かう。
しかし時間が早過ぎたため市場はまだ開いていない。
誰も居ない、美しい芝浜の浜辺で顔を洗って煙管を吹かしていると、足元の海中に財布を見つける。

拾って開けると中には目を剥く大金(桂三木助の演出では、現在の価値換算で800万円程度)。
有頂天になって自宅に飛んで帰り、飲み仲間を集めて大酒を呑む。
翌日、二日酔いで起き出した勝に女房、こんなに呑んで支払いをどうする気かとおかんむり。
勝は拾った財布の金のことを訴えるが、女房は、そんなものは知らない、お前さんが金欲しさのあまり夢に見たんだろと言う。
焦った勝は家中を引っ繰り返して財布を探すが、どこにも無い。

彼は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。
つくづく身の上を考えなおした勝は一念発起、断酒して死にもの狂いに働きはじめる。
懸命に働いた末、三年後には何人かの人も使ういっぱしの店を構えることが出来、生活も安定し、身代も増えた。
その年の大晦日の晩のことである。

勝は妻に対して献身をねぎらい、頭を下げる。ここで、女房は勝に例の財布を見せ、告白をはじめる。
あの日、勝から拾った大金を見せられた妻は困惑した。十両盗めば首が飛ぶといわれた当時、横領が露見すれば死刑だ。

長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は勝の泥酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言いくるめる事にした。
時が経っても落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の勝に財布の金が下げ渡されたのであった。

事実を知った勝はしかし、妻を責めることはなく、道を踏外しそうになった自分を助け、真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。
妻は懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい、久し振りに酒でも、と勧める。
はじめは拒んだ勝だったが、やがておずおずと杯を手にする。
「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」
といったんは杯を口元に運ぶが、ふいに杯を置く。

「よそう。また夢になるといけねえ」

成立

三遊亭圓朝の三題噺が原作。
三題噺とは、寄席で客から三つのお題を貰い、それらを絡めて、その場で作る即興の落語である。
ある日のテーマが、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だった。(三代目桂三木助は「三遊亭圓朝が作った『笹飾り』『増上寺の鐘』『革財布』の三題噺」と噺していた)。

ここから生まれた三題噺がベースとなって、その後本作が成立したとされているが、『圓朝全集』に収録されていないことや圓朝以前に類似の物語があることから、この説を疑問とする声もある。

現在のものとはストーリーも異なっていたという説もある。
川戸貞吉は、八代目林家正蔵からの聞き書きとして、「昔の『芝浜』は、男が財布を拾った後、長屋の連中が財布を拾ってめでたいってんで、みんなで歌を歌って騒ぐだけの話で、軽い話だったよ」と述べているが、八代目正蔵が生まれる以前に口演速記された落語本ではすでに現在と同じ人情噺になっている。

少なくとも19世紀中には「芝浜」として演じられた記録がある。
三田村鳶魚は1924年(大正14年)の著書の中で、魚市場の成立年から、享保時代の出来事を寛政以後に落語に仕立てたと見ている。

松崎尭臣が享保9年に書いた「窓のすさみ」の中に、大金を届けた正直者の芝浦の魚売りの話があり、これを落語にする際に、当時中沢道二の道話が流行していたことから、心学の訓話を織り込み、妻と酔っぱらいを加えて高座に上げやすくしたのたろう、と述べている。

戦後、3代目桂三木助が安藤鶴夫ら、作家や学者の意見を取り入れて改作、十八番としたのが現在広く演じられているストーリーの基礎とされる。
彼の存命中は他の噺家は遠慮したほどであるが、現在では7代目立川談志をはじめ多くの落語家が演じている。

噺のヤマが大晦日であることから、年の暮れに演じられることが多い。
なお、上方では場所を住吉の浜に置き換えて、「夢の革財布」といいう演題で演じられている。
1903年初演の歌舞伎世話物狂言『芝浜の革財布』(しばはまのかわざいふ)は、本作が原作である。

芝浜の描写

『芝浜』を演じた噺家は多いが、「芝浜の三木助」と謳われた3代目桂三木助が1950年代に演じたバージョンは特に高名である。
この演出には、落語評論家として知られ3代目桂三木助と親しかった作家の安藤鶴夫がブレーンとして携わったと言われている。
読売新聞連載記事「名作聞書」には3代目桂三木助の「芝浜」が注釈つきで収録されている。

3代目桂三木助の「芝浜」の魅力は二つある。
ひとつは絵画のように情景を写し出す描写力である。三木助は「落語とは何か」と問われて、「落語とは絵だ」と答えている。
つまり、演者が丁寧に描写する絵(映像)を、聴き手に鮮明に見せる事こそが重要だ、と主張したのである。

彼の理論に従えば、魚屋が市場にやってきた場面に於いて、夜が明けて朝日に照らされた真白い浜、静かに揺れる穏やかな波、周囲に建物も何も無い美しい芝浜を聴き手に見せる事ができるか否か、が本作の真髄であり醍醐味と言うことになる。
『芝浜』と言う題名ながら、実際に芝浜が描かれるのはこの場面だけであり、非常に重要な見せ場と言えよう。

これには極めて高レベルの実力が噺家にも聴き手にも要求される。
芝浜は現在の東京都港区東部の田町駅のJR線路沿い(浜松町側)である。
2006年にマンションカテリーナ三田タワースイートが建てられた。
隣接する鹿島神社は現存。元々、新橋-横浜の鉄道は海岸線沿いに敷設されたことはよく知られている。
つまり、線路がある場所が浜なのであった。実際には海岸線に堤防を作りその上を線路としたものである。

3代目桂三木助が現役で芝浜を演じはじめているころは当地に浜や海岸線の痕跡がまだあった。
東京オリンピック以降に埋め立てが加速度的に進み、痕跡が完全に消えた。芝浜の近辺に限ると、海が食い込み、海が残っていた。
つまり、線路の内陸側にも海が残り、その上を跨ぐように線路が橋のようにして作られていた。
JR(国鉄)はこの橋を雑魚場架道橋と呼んだ。

内陸側に残っていた海は、1968年に埋立てられ陸地となり、港区立本芝公園(芝公園とは無関係で全く別の場所にある。)となった。その中に魚市場(雑魚場)旧跡を示す碑がある。
魚市場そのものは海中に没している。三木助の落語は失われゆく風景を描写しているものとして、落語ファンを喜ばせた。

3代目桂三木助は、暉峻康隆の助言により、冒頭に「明ぼのや しら魚しろきこと一寸(いっすん)」という句を挟むという独自演出をした。松尾芭蕉の句である。しかも、芭蕉の名を出さず、「翁の句に」といったのである。
これらの風景描写は前述のようにファンには喜ばれたが、古典落語の範囲を逸脱していることから、落語業界内でも賛否がある。

古今亭志ん生は「長々(風景描写を)やっちゃあ、夢にならねえ」との持論で、財布を拾う描写を行わずに演じていた。

三木助に対しては概ね好意的である7代目立川談志も「三木助さんの芝浜は好き嫌いでいえば嫌でした。安藤鶴夫みたいなヤツのことを聞いて、変に文学的にしようとしている嫌らしさがある」「芭蕉と言わずに翁の句という」と批評している。
(いずれもバンブームック1 立川談志「芝浜」より)

五街道雲助は三木助の芝浜について、「たかが噺にそこまでと云う反論もありましたし、私も文芸的にと云うのは好きではないのですが、この噺だけはそうした味付けが有ってもよかろうと云う考えです。
つまり、そうしたい気にさせる何かが有る噺なんですね。
誰しもがそう思うようで、この噺ほど演る人によって持っていき方や工夫の違う噺もありません。
それだけに演者の噺に対する姿勢や感覚を試されて、恐い噺なのかも知れません。」と記している。

物語は、実力がありながら仕事に身を入れず、酒でいったん身を持ち崩した男が、一念発起し仕事に身を入れて見事に立ち直る、というストーリーとなっている。
これは3代目桂三木助の実像とオーバーラップする。もっとも3代目桂三木助の場合は酒でなく、博打であるが。
三木助個人に対して思い入れがあればある程、本作で感動することになる。

3代目三木助はこの演目で、1954年の文部省芸術祭奨励賞を受賞した。
なお、3代目桂三木助の実演はCD(レコード)の形で複数遺されているが、「録音に残っているものは短縮型の不充分な口演で、(録音を前提としない)実演は数段上であったように思う」という評がある(京須偕充『芝居と寄席と』)。
本作・芝浜は長時間を要する話だが、ラジオ番組には時間の制約がある。3代目桂三木助はNHKの専属落語家だった。
残されている録音の多くはラジオ放送用の収録をもとにしたものだった。

女房の造形

「実は大金を拾ったのは現実だった。あたしが嘘をついた」と、最後に衝撃の告白をする女房。この女房をどの様な人物として造形するか、これも重要である。
自堕落な亭主を見事に更生させる、立派な女房として描かれる場合が殆んどである。
それを聴き手は「実に偉い女房だ」「これこそ文句無しに素晴らしい夫婦愛だ」と賞賛する。
しかし、この演出法に対しては、「わざわざ更生させる為に嘘をついてやったのだ、と言わんばかりで、その偉ぶり具合が鼻につく」として嫌う意見もある。

これとは正反対に7代目立川談志の型では、告白の時に「騙して申し訳無い」と心から謝罪して涙を流す、偉ぶらない女房として造形する。
反骨家の談志らしいアンチテーゼと言える。
談志は三木助版を意識し、風景描写さえもなくすような演出を行ったこともある。

3代目柳家権太楼は一時期、亭主が激怒のあまり釈明を終えた女房を容赦なく殴打するという演出を行い、物議を醸したことがある。

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