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桂文團治(三代目) 倹約の極意

      2014/06/09

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3代目 桂文團治(1856年 – 1924年4月9日)は、本名: 前田七三郎。享年69。
道頓堀金屋町の公儀銅吹屋・大阪屋儀兵衛の一人息子として生まれるが、明治維新で生家が廃業となり、商家へ丁稚奉公をする。
16歳の時からは放蕩を覚える。(尚出生ついては諸説ある。)

23歳の時、立川三玉齋の門下に入門し、三吉を名乗る。三玉齋の死後、1879年頃に2代目桂文枝(後の桂文左衛門) の門下に移り文朝。
更に3代目林家菊枝(後の4代目林家正三?)の門下で菊松。その後、初代文團治の門下に移り初代米朝、1885年に順朝、1886年に再度米朝となるが、1887年に極道のため師の勘気を蒙り、2代目文團治(後7代目文治)に預けられ、2代目米團治を経て、1908年11月に3代目文團治を襲名。

住所から「畳屋町」と呼ばれ、師匠と共に上方落語界に睨みを利かせていた。大看板として噺振りには艶があり、風格の有る人物であったと伝える。『五人裁き』『立ち切れ線香』、後には『蜆売り』『鴻池の犬』などを十八番とした。
また、寸鉄人を刺す皮肉や小言を良くしたため「大毛虫」と呼ばれ、その弟子の3代目桂米團治も気障な所がそっくりで「小毛虫」と呼ばれた。なお前座のヘタリ時代に林家とみも小言を言われ難儀したとインタビューの取材で語っていた。

元々極道者であり、腹部には女の生首、全身には花札の彫り物を散らしていた。座敷ではふんどし姿になってその花札を数えさせ、どうしても一枚足りない所で、客から「ふんどし取れ」と声がかかる、しかしふんどし取らず片足を上げると、足の裏には雨のカス札が彫ってある、という趣向で受けたという。

彫り物は銭湯に行くと客から声が掛かるほどだったという。あまりにも見事だった為洋画家の小出楢重がスケッチしたほど。皮膚は某大学の標本室に現在でも保管されているという噂もある。
晩年は喉頭癌となり、最後の高座は1923年5月の南地花月の『泣塩』を演じたのを最後に静養生活に入った。1924年4月の引退興行では声が出ず、涙を誘ったという。師匠の2代目に先立って亡くなった。

没後噺家芝居で使用したかつらなどは借金のかたとして吉本興業に取られ、それを三遊亭志ん蔵が譲り受け、その後は晩年の志ん蔵を世話していた3代目桂米朝が夫人から譲り受けた。
主な弟子には、3代目桂米團治、2代目桂梅團治、3代目桂塩鯛、4代目桂文團治らがいる。
ちなみに、俳優の嵐寛寿郎は、この3代目文團治の義理の孫(妻の前夫が人形浄瑠璃の初代桐竹紋十郎で、その孫)に当たる。

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