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三遊亭圓生(六代目) 操競女学校(みさおくらべおんながっこう)~お里の伝~

      2015/04/15

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麹町表三番町に三百石を取る旗本・永井源助は人望にも篤く剣術にも優れ新陰流の道場も持っていた。讃岐・高松の京極備中守の藩中で村瀬東馬は純朴で永井源助に剣術の指南を受け旧友でもあった。村瀬の朋友、関根本右衛門の遠縁に当たる十六歳のお里をここで奉公させて欲しいと願い出た。給金より剣術の指南を願って置いていった。お里はよく働き、頭も良く、剣術もめきめきと上達した。元禄13年に奉公に上がり、3年を過ぎた時には免許が取れるまでになっていたし、奉公先にも可愛がられた。

 元禄15年12月15日雪も上がって天気も良かった。読売が出て赤穂浪士の討ち入りがあって、敵(かたき)討ちの本懐が達せられたという。それを聞いてお里はホロリと涙を流した。
 永井源助はこれを見て、お里から話を聞くと、「父は京極備中守の家臣尼崎幸右衛門で、上役の岩淵伝内が母に懸想。お里三歳の時、父が不在の折り母を手込めにしようとしたが、父親が帰宅口論になったが、抜き打ちざま殺害、母は『夫の敵』と岩淵伝内を追って脇差しを投げ打ち左肩にキズを負わせた。しかし、父は刀の柄に手を付けられず、『武士の恥』と尼崎の家は没収、その秋に母も亡くなった。その時『男の子なら仇討ちも出来るのに・・・』と言い残した。九歳の時その話を聞き、ここで稽古をしていた。」それなら教え方が違うと道場に出た。習う方も教える方も一心ですから、翌春に免許皆伝になった。

 岩淵伝内を探し、江戸にいる事が分かったので、江戸屋敷に奉公に出た。そこに居無いとなると次の屋敷にと、奉公替えして探した。3年の間に75軒屋敷を替えた。二十一になっていた。
 75軒目は本所割下水でご進物お取り役・坂部安兵衛屋敷であった。二十六の殿様と二十一という若い夫婦に、五十一になる小泉文助という用人と、中働きの四十三のお滝が切り盛りしていた。
 お里は奉公に入った正月の七草。七草の行事も終わって酒好きの文助に充分に呑んで良いとの殿様からのお言葉、酌人にお里を付けた。

 お里は美人だから、わしの女房にならんかと文助は酔いの中から漏らした。目元、口元お前に似た女に恋をした。その女の為に苦労した。今から19年前、わしも三十三の若さだった、その女に惚れた。その時も七草で、亭主が出掛けたのを幸いに、女に強引に迫ったが、亭主が帰ってきてわしを後ろ倒しにした弾みに柱に頭を強く打ち付けた。上役に無礼であると、刀に掛けてもこの女は貰い受けると言うと、そやつも武士の刀に掛けてもやらないと言った。
 この話はやめて、他の話にしようと、文助は話をはぐらかすが、お里とお滝の誘導で、また話し出した。一太刀で切り捨てた。その事に後悔していると、出し抜けに女が「夫の敵」と脇差しを抜いて斬りかかって来たから、逃げ出した。その時脇差しを投げられ、左肩に突き刺さり、こんな恐い事はなかったが、城を抜け出し国からも逃げだした。国元を聞くと、讃岐丸亀京極備中守の藩中で働いていた。なかなか言わなかったが、旧名、岩淵伝内で三百石を取った立派な侍だと口を滑らせ、諸肌脱いで傷口を見せた。悔しさがこみ上げてきたが、師範の永井は敵に巡り会っても絶対手出しをしてはいけないと、言いつかっていた。岩淵伝内は今井田流の使い手だから、わしが助太刀をするからと、強く言われていた。

 翌朝、お暇をいただいて永井の元に走った。直ぐに永井、村瀬から京極備中守の殿様に話が届いた。殿様は召し捕れと言い、坂部安兵衛の了承を受け召し捕り、芝新シ橋の京極備中守上屋敷において殿様御前で仇討ちとなった。
 両名、殿の前で挨拶するかと思っていたら、岩淵は突然お里に斬りかかってきた。みなは驚いて、切られたかと思ったら、免許皆伝だけあって咄嗟によけた。両名上段に構えたが、小娘だと思っていたら、初めて”出来る”と思って油断なく構えた。その内に岩淵がわざとスキを作った、とは思わずお里は斬り込み刀を合わせたが、引き際に額にわずかの切り傷を負った。すかさず殿から「待て!」が掛かった。師範の永田が間に入って、時間を稼いでいる間薬を付けて額に二重の鉢巻きをして戻ってきた。キズを負うと度胸が付いて、撃ち合いが大きくなった。攻め込むと岩淵後ろに下がるところ、師範永田が後ろで気合いを掛け下がらせないようにしている。お里より後ろに気を取られるようになった。激しく打ち込むお里に小指を切られ、なおも後退。岩淵胸を突かれ転倒。そこを「親の敵」とトドメを刺すと皆の歓声がどっと上がった。殿も小膝を叩いて感心。家の再興と二百石を加増、二百三十石になった。
 村瀬の息子金之丞を迎えて夫婦になり、尼崎家再興。孝女お里の伝でした。

出典:落語の舞台を歩く
http://ginjo.fc2web.com/200osatonoden/osatonoden.htm

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