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三遊亭圓生(六代目)鹿政談

   

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あらすじ

現在でも鹿は奈良の名物であるが、かつては鹿が『神獣』とされていた事もあって、現在からみると想像を絶するほどの手厚い保護が行われていた。ちょっと叩いただけでも罰金、もし間違って殺そうものなら、男なら死罪、女子供なら石子詰めという、当時の最高刑が待っていた。

そんな時代の、ある朝に起きた出来事。

奈良三条横町というところに、豆腐屋渡世を営む老夫婦が住んでいた。

主である与兵衛が朝早くから起きだして表に出てみると、大きな赤犬が「キラズ」(卯の花の事)の桶に首を突っ込み食べていた。与兵衛が追い払おうとしたが動かず、手近にあった薪を投げ付けると、命中し赤犬は倒れてしまう。ところが、倒れたのは犬ではなく鹿だった。介抱の甲斐も無く鹿は死亡。正直者の与兵衛は鹿の死骸を隠すこともできず、事件はすぐ明るみになった。

当時、鹿を担当していたのは目代(代官)の塚原出雲と、興福寺の番僧・了全の二人。この二人が連名で願書を書き、哀れ与兵衛はお裁きを受ける身に…。

この裁きを担当することになったのは、名奉行との誉れが高い根岸肥前守。お奉行様とて、この哀れな老人を処刑したいわけではない。何とか助けようと思い、与兵衛にいろいろとたずねてみるが、嘘をつくことの嫌いな与兵衛はすべての質問に正直に答えてしまう。困った奉行は、部下に鹿の遺骸を持ってくるように命じた。

遺骸をじーっと見て、ひと言。「これは鹿ではない、犬だ。鹿には角がなくてはならない。しかし、これには角が無いではないか。犬ならば裁きの必要はない、この願書は差し戻しといたす」

一同感心して「これは犬でございます」。中には、「今、ワンと鳴きました」と同意する人も出てくるが、鹿の守役、塚原が「鹿は毎年春、若葉を食しますために弱って角を落とします」と異議を唱える。

奉行、またしばらく考え、「そこまで申すのなら、鹿の前に別の事を調べねばならぬ」と言い出した。この頃、鹿の餌料を着服し、高利貸しに流用している不届き者がいるという。毎年幕府から下されている鹿の餌料は三千両で、鹿の腹が満たないわけがない。『神獣』とはいえやはり動物。空腹に耐えかねて町中にさまよい出てしまったのだろう。鹿がキラズを盗み食ったのは神意に沿わず、打ち殺してもやむを得ない。

「もし、この裁きを続けたいのであれば、今度は鹿の餌料を横領した者の裁きを始めねばならぬ」と再度、死骸が犬か鹿かの確認を塚原に迫る。

身に覚えがあった塚原は、たまらず「犬鹿蝶!!」「わたくし、歳のせいか犬と鹿を取り違えてしまったようで…」「角が落ちたような跡は、腫物が並んでできたもの」

これにて一件は落着。お白州の後、涙を流す与兵衛に奉行が声をかける。

「与兵衛、斬らず(キラズ)にやるぞ」

「達者(マメ、豆)で帰れます」


元となった講釈では別の人物が行っていたお裁きを、落語に移植する際に根岸鎮衛の逸話に置き換えた。実在の根岸は「耳袋」の作者としても有名な才人であった。

与兵衛が鹿を殺した理由を尋ねられ、語っているうちに芝居がかりに(「仮名手本忠臣蔵」の六段目)になってしまうなど、人情の中にも笑える要素の多い作品であるが、裁きの場面に特に多く配されている。自分の職務に傷をつけまいとして、与兵衛を処刑しようと躍起になっていた塚原が、あべこべに横領罪で告発された揚句、自分の言った台詞をそっくりそのまま使われてやり込められる場面などがそれに当たる。

ちなみに、塚原が思わず叫んでしまう「犬鹿蝶」は花札に由来するギャグであり、六代目円生が挿入した。

最後の会話「斬らずにやるぞ」は、鹿が盗み食いしていた「キラズ」に、また「マメで帰れます」は「無事に」の意で、それぞれ豆腐屋が大豆を扱っていることに引っかけたオチである。

当時の社会状況

当時の奈良地方一帯は興福寺が大和守護として実質的な支配権を保ち続けており、奉行所は宗教警察権に対して不可侵の姿勢をとっていた為、鹿殺しを行った者は全て寺側に引き渡していた。興福寺側は罪人の年齢を問わずに引き回しの上、斬首するという私刑を公然と行っていた。

『興福寺略年代記』によれば1551年10月2日に10歳位の童女が鹿に石を投げて当たり所が悪く、打ち殺した為、引き回しの上斬首された事実が記載されており、「三作石子詰め」等の民話のように陰惨な話が今日まで伝わっている。

1670年に溝口信勝が奈良奉行に就任して以後は興福寺側の宗教的特権を認めなくなり、1678年に長四郎という鹿殺しの犯人に対する興福寺の処刑請願を奉行所が拒否して興福寺の支配は終わりを告げ、以後は鹿殺しについても幕府側が裁くようになる。根岸鎮衛が生まれた1737年以降もこの状況に変わりはなく、1822年に食肉売買目的の常習犯が3名捕われたが長期の入牢だけで処刑はされていない。

このため、根岸がいた時代に過失犯でも奉行所が処刑したという設定は、本作における創作である。

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 - 三遊亭圓生(六代目)

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