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雷門助六(八代目)仕立ておろし

   

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へべれけに酔っぱらった男が、滔々と女房の愚痴をこぼす。えらいものを生け捕りました。ありゃあ「おんな」じゃなく「かんな」、亭主の命を削る「鉋」だと悪態をつく。色気もなければ料理もダメ。牛肉を煮るのに鰹節がいるかってんだ、バナナを買ってくれば糠味噌につける、何でも冷蔵庫に入れりゃあいいもんと思ってる、この前靴まで入れてやがる。夏だというのに足ぃ、しもやけができちまった。しまいにゃ浴衣の仕立てを頼んだら…

プロフィール

8代目雷門 助六(1907年4月22日 – 1991年10月11日)は、東京都本郷出身の落語家、喜劇役者。
本名は岩田 喜多二(いわた きたじ)旧姓は青木。出囃子は『助六ばやし』。愛称は「六さん」。
父は6代目雷門助六。5歳だった1912年から父の門下で小助六の名で人形町末広で初舞台、以降小噺やかっぽれで舞台に立った。1917年には5代目柳亭左楽の門人となり、小学校の頃は一時中断していた時期もあったが1921年10月には16歳の若さながら睦の五郎の名で真打に昇進(この頃同じ実父が芸人だった睦ノ太郎(後の8代目春風亭柳枝)、睦の三郎とで若手三羽烏として売り出される)。1928年には父6代目が睦会を脱退し独立した際に自身睦の五郎を返上し雷門五郎に改名する。このころから三遊亭歌奴(後の2代目三遊亭圓歌)、柳亭芝楽(後の8代目春風亭柳枝)、橘家圓蔵(後の6代目三遊亭圓生)ら若手真打5人を集めて「五大力の会」を結成。
1934年に父の死去に伴い落語を離れ軽演劇に傾倒し「五郎ショウ」を結成し浅草などの劇場に進出。1937年ごろに雷門五郎劇団を結成、大阪にも進出、大阪では新興キネマ演芸部所属であった、戦中戦後は寄席を離れ軽演劇の一座を率いて全国を巡業。浅草松竹演芸場などを中心に喜劇役者として活躍した。1959年より短期間ながら吉本新喜劇の座長として出演した。
1956年7月には8代目桂文楽の斡旋で落語に復帰、落語芸術協会(当時・日本芸術協会)に加入し、寄席に復帰。1962年10月に父の名8代目雷門助六を襲名し、落語に専念。東京・名古屋・岡山にまたがる雷門一門の惣領として活躍した。
「あやつり踊り」「かっぽれ」「人形ばなし(二人羽織)」「住吉踊り」「松づくし」など踊りを中心とした寄席芸を確立した。
得意ネタは『長短』『虱茶屋』『片棒』『仕立ておろし』『宮戸川』など。
1981年に勲五等双光旭日章受賞。1986年に文化庁芸術祭賞受賞。
晩年は膝を悪くして正座が出来なくなったため、前に釈台を置き、胡坐で演じていた。
1991年に死去。満84歳没。

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