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古今亭志ん生(五代目)心中時雨傘(上・下)

   

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あらすじ

根津権現の祭りは勇壮だった。
祭りの準備で屋台が出て、その上根津の遊廓の賑わいもすごかった。
縁日の屋台の、ドッコイ屋と言うのがあった。

ドッコイ屋は盤の中央に回転する棒がついていて、その先に針があってマス目の中に景品が書いてあり、当たると景品がもらえたが、なかなかカステラなどは当たらなかった。

この家業のお初さんは歳が二十三で色白で小股の切れ上がったいい女であった。
母親と二人暮らしであったが、嫁になると母親が生活できなくなるので断っていた、親孝行娘であった。

根津の遊廓も大引けで、荷を片して下谷稲荷町の自宅に帰ってきた。
慶応3年10月20日の本祭りの前の晩、帰り道、池之端から仲町を抜けて稲荷町に帰ってくるが、池之端に来た時は八つの鐘が鳴っていた。

月夜の明るい夜であったが、根津の冷やかし帰りの3人組に呼び止められて、穴稲荷(あなのいなり)の暗闇に引きずり込まれかかった。
だれか~、と叫んだが誰も来なかった。

その時二十五、六の男が助け出してくれたが、殴った勢いで相手は倒れ、打ち所が悪く死んでしまった。
落ち着いて、助けてくれた相手を見ると同じ町内の、型金という型屋の金三郎であった。

お初を送りながら、「とんでもない事をしてしまった」と心の中でつぶやいていた。
お初の家でお茶をご馳走になり、今日のご恩のお返しに一緒になりたいというお初。
伝馬町送りになったら困るので一緒になれないが、10年でも20年でも待つというお初であった。

翌朝、金三郎は昨夜の喧嘩後を見に行ったら死骸を前に大勢の野次馬がいた。
帰ってきて布団に潜り込んでいたら、大家が来て、お初が人殺しで引っ張られて行ったという。
本当の事を大家に打ち明け、北の奉行所、浅野肥前守に願書をしたため訴え出た。

仲間の訴えで捕まえたが、調べると二人とも私がしましたと言うので、牢屋に下げて新たに調べると、被害者は博打打ちのならず者でお尋ね者だった。
奉行は状況から見て、悪さをする不届き者だから、「捨て置け」との一存で二人は帰ってきた。
大家が仲に入って二人は夫婦になって、母親と3人、仲のいい生活が始った。

11月、大家が来て頼むには、酉の市の売り子が足りなくなったので、二人で手伝って欲しいとの要望で、手伝って完売してしまった。
その帰り道、下谷広徳寺の辺りで火事が出た。
駆け戻り長屋に入ると母親が火中に取り残されていた。
金三郎は濡れムシロをかぶって母親を助け出したが、今一歩の所で家が崩れ梁(はり)の下敷きになってしまった。
鳶(とび)が飛んできて、二人を助けたが、金三郎は右肩を強く打ってしまった。

その晩は大家さんの家に一晩やっかいになった。
仲間や親方の世話で、山伏町に小さな家を借りてそこで暮らすようになった。

お初は浅草寺の境内でドッコイ屋を始めた。
金三郎は痛みが激しくなってきたので、名倉で診てもらうと右腕の骨が砕け治らないと言う。
どっと寝込むようになって、どんどん体調が悪くなっていった。

翌年の4月に母親が亡くなった。
菩提寺もないので家主の日暮里・花見寺に納めた。
残された二人は半年後の10月には仕事がれで暇な上に、金三郎の腕の痛みも増した。
看病をすれば仕事に出られず、仕事に出れば看病が出来ず、困り果てていた。
「俺さえ居なければ……」という思いが募ってきた。

「変な考えを起こさないでね」と言い残して、お初が仕事に出たが、そのスキに、石見銀山ネズミ取りがやって来て、友達の分もと3袋買った。
お初は鼻緒が切れて不吉な予感がしたので、帰ってきたらこの状態。

「痛い思いをして、何も出来ず、お初に迷惑を掛けているだけだから、殺してくれ」と、初めて心を語った。
現実を見てみると何の方策も見いだせない。
「死ぬんだね。だったら私も一緒に行くよ」とお初が言葉に出した。

金三郎は必死に止めたが、「夫婦というものは、元気だから残ればいいと言うものではなく、最後まで二人で居たい」。
お初の決意は固かった。

明くる日、道具いっさいをバッタに売り払い、こざっぱりとした身なりで、家主や回りには病気養生の為田舎に引っ越すと挨拶した。
お礼参りや暇乞いやらを浅草寺に参拝し、そこから出る時には陽は暮れ始めていた。

時ならぬ雨で、白張りの番傘を1本買い求め、近所の天麩羅屋で夕食を済ませ、ひとつ傘に入って歩くと、娑婆ともこれでお別れかと思うと鹿島立ちの心境になった。
これから誓願寺裏に出て、松葉町から坂本に出て、お諏方神社の境内に上がってきました。
日暮里花見寺の垣根が壊れているところから墓地に入り、母親の墓にこれからの事を報告、人の気配を感じたのでお諏方様に戻って暗がりの中にいたが、手に当たるものがあった。矢立であった。

最後に何か書き残せとのお諏方様のお告げではないのかと、番傘の裏に書き止めた。

”わたしたちはふうふもの、どうかいっしょにうめてください。
十一がつ二十一にち 金三郎、初”

としたためた。

このままでは薬が飲み込めないので、お諏方様の御手洗(みたらし)を柄杓で貰い、薬を飲んで、にこりと笑って旅立った。
お初三十の秋であった。

「こぼれ松葉は枯れて落ちても夫婦ずれ」

日暮里花見寺に残る心中時雨傘の終わりでございます。

[出典:落語の舞台を歩くhttp://ginjo.fc2web.com/185sinjuu_siguregasa/sinju_siguregasa.htm]

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