★【漫才】内海突破・並木一路/プロフィール
内海突破(うつみ とっぱ) プロフィール
大正4年内海村魚神山に大工の2男として生れる。本名木村貞行。幼い頃から駄洒落や物真似が得意で同級生を笑わせていたという。学業の成績は優秀で大阪の浪速商業、関西大学と進学した。しかし笑い好きの性格はおさまらず芸人の夢は膨らむばかりであった。
昭和初期の大阪のお笑い界では「エンタツ・アチャコ」の新しい「しゃべくり漫才」が大人気で、突破は浪速商業の先輩、西条凡児の元に入門し芸人への道の第一歩を踏み出した。
昭和11年「西条凡々」の芸名でデビューを果たしたが、故郷内海から海峡を突破して大海原に出ようという希望を込めて、芸名を「内海突破」と改名し上京した。
昭和15年、10人目の相方に並木一路と巡り合い、突破の独特のボケを一路が受ける「一路・突破」の絶妙なコンビが客席の笑いをとるようになった。「一路・突破」のコンビはニュースや庶民の話題の中からネタを探して漫才を作り、新しいスタイルの二人の漫才は戦時下の庶民の明るい笑いを誘った。「西にエンタツ・アチャコあり、東に一路・突破あり」といわれるほどになる。
昭和20年軍隊に招集されたものの、戦後復員してからは活動を再開、「百万$ソング」など喜劇映画に出演するなど活躍した。昭和24年にコンビを解消してからはNHKのラジオコメディー「陽気な喫茶店」に出演し人気を博した。、生放送中セリフに詰まりとっさに出したギャグ「ギョギョッ」が思わぬ笑いを誘い、一躍流行語となり「ギョギョッのおじさん」として一世を風靡した。伴淳三郎や清川紅子など喜劇界の人気者達と並び、脂ののった活躍を見せていった。
素顔の内海突破は人気に溺れず芸作りに熱心で、酒やタバコはやらず甘いものが大好きだったという。昭和31年には内海村に凱旋講演をしている。
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